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総説

 

人獣共通感染症をどのように克服するか −インフルエンザをモデルとして−

喜田 宏(北海道大学大学院獣医学研究科・教授、人獣共通感染症リサーチセンター・センター長)

 

主旨
  いわゆる新興感染症の多くは人獣共通感染症である。その病因は野生動物と共生関係を確立して自然界に存続してきた微生物であり,宿主域を越えて人,家禽や家畜に伝播して,時に重篤な感染症を引き起こす。したがって,自然界における野生生物と微生物のエコロジーを究明し,伝播経路を明らかにしてはじめて,人獣共通感染症対策が可能となる。インフルエンザ,SARS,エボラ・マールブルグ出血熱,レプトスピラ病や,未知の感染症を克服するには,個人,自治体,国そして国際社会がどのように取り組むべきかを共に考え,探りたい。

人獣共通感染症とは
  近年,ニパウイルス,ハンタウイルス,SARSコロナウイルスや新型インフルエンザウイルス感染症,ウェストナイル熱,ラッサ熱,エボラ・マールブルグ出血熱,出血性大腸菌症,肺ペスト,レプトスピラ病などのいわゆる新興・再興感染症が世界各地で発生し,社会を脅かしている。実は,これらはすべて人獣共通感染症であり,その病原体は,地球上の限られたスポットで野生動物を自然宿主として寄生・存続してきた微生物である。
  近年における地球人口の爆発的増加と経済活動の進展・拡大は,森林の伐採と農地化や砂漠化,大気汚染と地球の温暖化を招いた。この様な地球環境の急激な変化は,動植物生態系の破綻を招き,野生動物と人間社会の境界消失をもたらした。その結果,これまで自然宿主に何ら危害を及ぼすことなく,存続してきた微生物が家畜,家禽とヒトに伝播し,新たな人獣共通感染症の発生を引き起こしている。黄熱やマラリア等,熱帯地域に限られていた節足動物媒介感染症の発生と流行は,今や亜熱帯および温帯にまで広がっている。地球の温暖化とダム建設や灌漑工事の結果,ウイルスや原虫の感染を媒介する蚊の生息域が拡大したためである。したがって,新たな人獣共通感染症が出現する頻度は,年々高くなっている。このようにして人間社会に出現する,新たな人獣共通感染症は,現時点では,その発生を予測することはできない。
  痘瘡はヒトからヒトにしか伝播しない感染症であって,優れたワクチンが利用できたので,根絶された。ところが,人獣共通感染症は,その病原微生物が自然界から供給されるので,これを根絶することは,当面,不可能であることをまず認めなければならない。その上で,「人獣共通感染症を如何に克服するか」が今,喫緊の国家・国際課題となっている。

人獣共通感染症をどのようにして克服するか
  人獣共通感染症を克服するためには,原因微生物の起源と自然界における存続のメカニズム,侵入経路ならびに感染,発症と流行に関与する諸要因を明らかにして,発生予測と流行防止の戦略をたてる必要がある。その戦略基盤は,緊密な国際連携の下,地球規模で綿密かつ有機的な疫学調査研究を展開して,自然界における病原微生物の生態を解明するプロジェクトである。
  今,私たちが人獣共通感染症を克服するために取り組んでいる,先回り戦略は,これまでインフルエンザを克服するために進めてきた,インフルエンザウイルスの生態と進化ならびに宿主域と病原性の分子基盤を解明することを目標とする研究プログラムをモデルとして策定されたものである。したがって,まず,高病原性鳥インフルエンザとヒトの新型インフルエンザウイルス出現に備えた取り組みを紹介する。

インフルエンザウイルスの生態と進化ならびに宿主域と病原性
  インフルエンザAウイルスはヒトを含む哺乳動物と鳥類に広く分布する。なかでも,水禽からはすべてのへマグルチニン(HA)とノイラミニダーゼ(NA)亜型(それぞれH1〜H16とN1〜N9)のウイルスが分離される。すなわち,水禽,特にカモがインフルエンザAウイルスの自然宿主である。カモは夏にシベリア,カナダやアラスカの北極圏に近い営巣湖沼でインフルエンザウイルスに水系経口感染し,その結腸陰窩の上皮細胞で増殖したウイルスを糞便と共に排泄する。8月中旬からカモは南方に渡り始める。カモが渡りに飛び立った後,湖沼水中のウイルスは半年以上凍結保存される。自然界でカモに害を及ぼすことなく受け継がれているウイルスの抗原性と遺伝子は安定である。
  カモが渡りの飛翔路に沿って,あるいは越冬地で排泄する非病原性ウイルスは,ニワトリに直接感染することはないが,ウズラ,シチメンチョウやガチョウなどには感染する。これらの家禽を経て,ニワトリに感染する低病原性ウイルスが生ずる。ニワトリに感染したウイルスがニワトリ集団の中で感染を繰り返すと,ニワトリに対する病原性を獲得することがある。これが高病原性鳥インフルエンザウイルス(HPAIV)である。鳥インフルエンザウイルスの病原性は,ニワトリの静脈内に接種した後の致命率によって測られる。したがって高病原性とは,ニワトリに対する毒力が強いことを意味するものであって,他種の鳥や,ましてヒトや哺乳動物に対するものではない。HPAIVのHA亜型はH5またはH7に限られる。

高病原性鳥インフルエンザ
  2003年以来アジアに流行しているHPAlの原因H5N1ウイルスが昨年4〜7月に中国北部,モンゴル等で野性水禽から分離され,8月には,ロシアやカザフスタン,その後トルコ,イラク,エジプト,デンマーク,フランス,イギリスやナイジェリアなどの家禽にHPAl被害が拡大している。モンゴル,クロアチアおよびナイジェリアで野生水禽から分離されたウイルスは中国の青海湖で水禽から分離されたウイルスと同じ株と言えるほど近縁で,タイやべトナムで流行しているウイルス株とは異なることが判った。
  さらに,2004年からこれまで,タイ,ベトナム,カンボジア,インドネシア,中国,トルコ,アゼルバイジャン,エジプトなど10カ国で,H5N1ウイルスのヒトへの感染例260余名,うち半数以上の死亡が確認されている。これらのほとんど全例が,家禽のウイルスに直接感染したものである。少数の家族内感染を疑う例が報告されているが,夫婦間の伝播は認められていない。さらに,感染したヒ卜から分離されたウイルスはすべてニワトリから分離されたウイルスと同じレセプター特異性(SAα2,3Gal)を保持していた。以上の事実から,これまでの罹患者は通常のヒトと比べ,H5N1 HPAIVの感染に極めて高い感受性を有する個体であることが解る。
  このHPAIVがヒトからヒトに伝播する能力を獲得すれば,新型インフルエンザウイルスとして流行を起こし,人類社会に与える被害は計り知れないとして,世界各国とWHO等の国際機関はH5N1ウイルス対策を推進している。その可能性を否定するものではないが,H5N1亜型のみが新型ウイルスとして出現するものと信じられていることに,危険を覚える。H5以外のヘマグルチニン(HA)をもつウイルスについても,警戒を怠ってはならない。

ヒトの新型インフルエンザウイルス出現機構
  1968年に出現したヒトの新型ウイルスA/Hong Kong/68(H3N2)株は,カモがシベリアの営巣湖沼から家禽に持ち込んだH3ウイルスと,ヒトに流行していたH2N2ウイルスが豚に共感染して生じた遺伝子再集合体である。1957年のH2N2新型ウイルスも同様の経路で出現したものと推定される。1918年のH1N1新型ウイルスは,北米系統の鳥インフルエンザウイルスを起源とする。その伝播経路も,カモ→家禽→ブタ→ヒトであろう。
  家禽のインフルエンザの早期摘発,淘汰によって,被害を最小限にくい止め,ヒトの健康と食の安全を守る。鳥インフルエンザを鳥だけに止める。これが鳥インフルエンザ対策の基本である。インフルエンザAウイルスの起源と自然界における存続機構ならびに新型インフルエンザウイルスとHPAIVの出現機構を踏まえて,それぞれの克服戦略を立てねばならない。
  以上に述べたように,家禽,家畜,野生鳥獣およびヒトのインフルエンザウイルス遺伝子はその全てが野生水禽,特にカモのウイルスに起源がある。したがって,自然界の水禽,家禽とブタ,そしてヒトのインフルエンザの疫学調査を地球規模で不断に実施することによって,家禽,家畜およびヒトの新型ウイルスの典型を予測すると共に,調査で分離されるウイルスの中からワクチン候補株と診断抗原を選出し,保存・供給するプロジェクトを推進している。

北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター
  地球環境はますます悪化し,人獣共通感染症の発生機会と流行地は拡大している。貿易のグローバル化とボーダーレスの国際交流が進み,食肉,飼料,野生動物やペットの輸入と旅行者の増加に伴って人獣共通感染症が我が国に侵入する危険性が増大している。最近,諸外国で発生と流行が見られ,日本に侵入する可能性が高い人獣共通感染症として,狂犬病,ニパ脳炎,ウェストナイル熱,リフトバレー熱,SARS,HPAIなどがあげられる。少なくともこれら感染症の予防対策と危機管理体制を直ちに確立しておかねばならない。
  世界には未だ人獣共通感染症の病因微生物の生態,病原性,検出技術および制圧方法を総括的に研究開発する組織がなく,また,人獣共通感染症の予防と制圧に向けた研究と対策を推進する人材が極めて少ない。人獣共通感染症の克服に向けた研究・開発,予防・診断・治療法の開発と実用化,情報と技術の社会普及,人獣共通感染症対策専門家の養成並びに予防対策行政に対する指導,助言に責任を持ってあたる組織を創設し,人材を養成することが緊急の国家・国際課題となっている。
  このような背景の下で,かねてより提案してきた,「人獣共通感染症リサーチセンター」の設置が文部科学省に認められ,平成17年4月に北海道大学に新設された。「人獣共通感染症リサーチセンター」は,人獣共通感染症に特化した研究・開発と人材養成を推進,実施すると共に,世界のフィールドから診断・研究材料を受け付けてこれらに対応する研究教育中核拠点である。すなわち,研究面では,人獣共通感染症病原体の自然界における存続メカニズムを解明すると共に,その出現予測,予防と制圧を目指し,全地球規模の疫学調査を展開する。疫学調査で分離される病原体の病原性,宿主域と遺伝子を解析して,データベース化すると共に,人類共有の生物資源として系統保存し,的確な診断抗原とワクチン株を供給する国際バイオリソース拠点でもある。世界の人獣共通感染症の疫学情報と病原体の遺伝子情報の利用と供給を図り,それぞれの病原体について先端研究を展開すると共に,人獣共通感染症の診断,治療および予防対策を立案・実施する。一方,教育面では,国内外の研究者,大学院学生と専門技術者に対して人獣共通感染症の克服に向けた教育・研修コースを提供し,人獣共通感染症対策の専門家“Zoonosis Control Doctor”を養成して世界に送り出すことを目的としている。

謹告
  本稿は,昨年8月に開催の「第3回日本獣医内科学アカデミ−学術大会」に際し行われました,「動物ワクチン研究会」設立総会での喜田先生による特別講演「インフルエンザの克服戦略」と題するご講演の抄録です。 日本中央競馬会の補助事業である「平成18年度畜産振興事業に関する調査研究発表会」で行われた喜田先生の同様な特別講演の抄録から,先生及び主催者のご厚意により転載させて頂きました。



喜田 宏(きだ ひろし)北海道大学教授(大学院獣医学研究科)
昭和42年北海道大学獣医学部卒業,44年同大学大学院修士課程修了。武田薬品工業株式会社技術研究職,北海道大学獣医学部講師,助教授,教授,WHOインフルエンザウイルス共同研究センター客員教授などを経て,平成6年より現職。平成17年より新設の北海道大学人獣共通感染症リサーチセンター長を兼務。インフルエンザウイルスの生態に関する研究などに対し,日本学士院賞ほか受賞。編著書は,「人獣共通感染症」(2004,医薬ジャーナル社)ほか多数。獣医学博士。

 


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